1/26 空海 歴史プレゼン @御茶ノ水ビンデン
金曜恒例、御茶ノ水フェアビンデンでの歴史プレゼン!
第4回目は空海でございます。
おそらく名前だけは聞いたことのある方が多いことでしょう。
弘法大師とも呼ばれており、その名は亡くなった後で当時の天皇陛下賜った諡(おくりな)です。
そんな彼の人生ってのは、なかなかロックなんです。
彼は讃岐国に産まれ、お父さんは郡司という地方官でした。
簡単に言えば、うどん県高松市市長みたいなものでしょうか。
そして15歳の時から家庭教師をつけられて、熱心に勉強に励み、
19歳の時には、京の大学寮に入りました。
今でいう、役人育成学校みたいなところです。
で、『学校』のような名の付くものがあると、必ずこんなやつがいます。
・行儀よく真面目なんてできないやつ。
・教室の窓ガラスを壊して回りそうなやつ。
彼はこんなタイプでした。
何の疑問も抱かず、ただ役人になるという、つまらない大人のような人生が嫌だったのか。
そして彼は家出の計画を立てる。
19の夜。
もしも脳内BGMが流れていたら、選曲を尾崎さんから星野さんに変えていただきたいのですが。
突然山に駆け込むんです。
彼は勉強そのものが嫌いだったわけではありません。
むしろ熱心だったといったほうがよいでしょう。
しかし、集団で勉強することになじめなかったのか、はたまた教える側がつまらなかったのか。
『勉強は好きだけど、集団で学ばなくちゃいけないことが苦手なタイプ』
のような気がしてなりません。
少しだけ親近感がわいてきました。
そこから彼の記録は6年間途絶えます。
その間に、
24歳で儒教、道教、仏教を比較した『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著して俗世の教えが真実でないことを示しています。
参考文献: 空海 - Wikipedia
今だったら『〇〇の真実』なんてタイトルで出ている新書みたいですね。
修業期間中のエピソードで、空海を語るうえで欠かせないものがございます。
彼が高知県の室戸岬の御厨人窟(みくろど)という洞窟で修行していた時のこと。
彼がふっと顔をあげ目に入ったものが、
空と海だけだった。
だから彼は空海と名乗ったといわれています。
そんな彼が記録に再び現れるのは、30歳になった時のこと。
が、ここで大きな謎があるんです。
・6年間山で修行していた僧が、どうやって唐に行くお金を用意したのか。
・どうやって遣唐使船に乗るための手続きを踏んだのか。
これに関する記録は、何も残っていません。
とにかく彼は、遣唐使船に乗ることはできました。
が、大変なのはここからです。
それは、
遣唐使船が唐にたどり着く可能性の低さ。
要するに、めちゃくちゃ遭難したんですよね。
空海のケースも、4艘中2艘しかたどり着くことができませんでした。
幸い空海の船は唐に到着したんですが、漂着先を間違えてしばらく不審船と思われたそうです。
国籍不明の船に漂着されたら国際問題になるのも、いつの時代も同じことなんですね。
その後何とか唐の入国許可が下りて、都の長安に入ることができました。
空海の修行生活がここから始まるわけです。
なお、彼は一般参加の僧なので、唐に20年間の滞在義務がありました。
ところが、唐で修行していた彼にある出会いが訪れます。
恵果(えか)和尚という、高名な和尚さんが彼を一目見て、こう思ったのです。
『すげえ奴がいるぞ』
と。
どういうことかといえば、こんな感じです。
恵果和尚は、空海がとんでもない修行を行っていたことを、一目で見抜いたのです。
他がLv.5の修行僧だとしたら、空海はLv.95くらいあったのでしょう。
おまけに特技も他のやつとは比べ物にならないほど優秀。
なんと恵果和尚は、空海と出会ってすぐに、
真言密教の奥義を伝授することを決断しました。
唐にきて半年足らずの留学僧にですよ。
おそらく何十年も修行している諸先輩方が、数多くいたはずなのに。
そして唐にきて8か月で、空海は
『この世の一切を遍く照らす最上の者』
という意味の
遍照金剛(へんじょうこんごう)の名を与えられました。
Lv.100の称号みたいですね。
とにかく、無名の日本から来た留学僧が、この世の一切を遍く照らす最上の者に、
わずか8か月で大変身したわけです。
すると、こんなめちゃくちゃ優秀な人材を20年もほったらかしにするのももったいなくなります。
20年の滞在義務があったのが、わずか2年での超スピード帰国を許されたのです。
そして空海は、手に持ちきれないほどのお土産をもって帰国を果たしたのでした。
彼は自分の境遇を大国変えた留学をこう振り返っています。
虚しく往きて実ちて帰る
と。
身一つで唐に飛び出した無名の留学僧が、思ってもみないほど立派になって帰ってこれるなんて。
本人のつくづくしみじみとした実感がこもった言葉だと思います。
というわけで空海、いかがでしたでしょうか。
歴史プレゼンは、毎週金曜日20時ごろより、
御茶ノ水フェアビンデン:http://発酵食品.tokyo/
にて行っています。
なお、プレゼン当日は心の友のうどん打ちとのコラボイベントで、大変盛況でした。
今後もなにかコラボ企画をやるかもしれませんので、どうかお気軽にお越しくださいね~
1/19 幕末のイケメン 歴史プレゼン@御茶ノ水ビンデン
さてやってまいりました。
金曜恒例!御茶ノ水ビンデンでの歴史プレゼン!
第3回目は『幕末のイケメン』
レポートがいささか遅くになり申し訳ない。
さて、
古今東西津々浦々。
顔の良い男ってのが大層得をするのは、いつの時代も変わりありません。
列伝に残っている人物がイケメンだったら、概ね彼のプロフィールには、顔が良かったと書いてあるもんです。
とはいえ、今回のテーマは幕末です。
この激動の時代。
老いも若きも、倒幕も佐幕も己の信じるものを戦った時代。
ただ
「顔が良い」
からって理由だけで、「幕末のイケメン」を名乗る資格はございません!
というわけで、顔が良いに加えて、さらに2つの要素を追加いたしました。
それがこちら。
各々が持っている志に加えて、性格も良くないと幕末のイケメンとは呼べません。
というわけで、今回のプレゼンでは3名紹介しました。
※なお、表紙の彼は織田信福という歯医者さんですが、3名には含んでおりません。悪しからず。
まずは1人目はこの人。
薩摩藩家老。
小松帯刀。
なお当日は女性陣いわく、眉が太すぎるとの声を頂戴しました。
まあね。
で、この人は何がすごいかというと、
・齢28にして、家老になるほどの能力の高さ!
ってとこだと思っています。
28で家老っていうと、今で言うなら県庁のNo2ですかね。
かっこいいなぁ。
また、彼は西郷どんらに比べれば、家老になれるほどの薩摩藩の名家なんで、そもそもの格が違います。
とはいえ、西郷さんよりも7つ年下だったもんだから、西郷さんも初めは侮った態度をとったそうです。
しかし、小松さんの接し方を見てから、己の非を認め態度を改めたそうです。
それほど有能で、西郷どんと大久保さんすら使いこなせるイケメンの小松さん。
残念ながら、36歳の若さで病死してしまうのです。
死因は肺結核。
糖尿病。痛風による足の痛みにも悩まされていたそうです。
彼が生きていた薩摩藩はどうなっていたのか。
つい夢に見てしまいますね。
さて、やはり皆様健康には日々気をつけたいとお思いかと存じます。
そんな皆様に、歴史プレゼンをやらせていただいている、
御茶ノ水ビンデンの美味しいお野菜や、加工食品を心よりお勧めいたします。
農家の方が丹精込めて作り上げた絶品野菜の数々。
添加物など使うわけがない、加工食品の数々。
是非一度お試しにお買い求めください!
※他の2人のイケメンはまた今度!
カフェイン気にしてカフェにイン
コーヒーが好きだ。
父上が仕入れてきた豆挽き機を使って、自分でいれて飲むのが何より好きだ。
おそらくコーヒーを自分でいれ始めるようになったら、スターなんちゃらとか、ドトーほにゃららのコーヒーを飲むくらいなら、自分の方が美味いや〜 となると思う。
そんな自分が、昨日父上に「脱カフェイン」を宣言したのである。
なぜなら、
「カフェインは、ここぞという時に適量摂取すれば、本来の効力である、脳の覚醒効果を得られるようになる」
「だから、毎日飲んでいる人は、4.5日ほど脱カフェインして、決まった日に飲むようにしよう!」
との情報を得たからだ。
なるほど。
確かに、
「カフェインが身体から抜けきるのは時間がかかるので、午後2時までに飲むのが良い」
「それより後の時間に飲むと、その日の睡眠にさし障る」
なんて情報は知っていた。
じゃあせっかくなんで、試してみようではないかと思い立った次第である。
なお、自分が宣言するやいなや、夜にもかかわらず父上は、妹のいれたコーヒーを飲みながら、はぁそう、と言ったのであった。
そして、朝。
雪の降りしきった後の外を見下ろしながら、コーヒーを飲まずに、白湯をすすっていた。
だが、昼。
行きつけのパン屋さんにて、カツカレー丼を食べている時に不覚をとった。
※行きつけのパン屋さんはカレーパンが自慢なので、カレーパンのカレーをご飯と一緒に食べるメニューがあるのだ。
サービスでコーヒーが付いてくるのを忘れていたのた。
サービスでコーヒーが付いてくるパン屋さん!
なんとも素敵じゃあございませんか!
しかし、カフェインを取りたくない自分にとってはあまりに、
酷
酷
酷
…
まぁ飲みますわな。
脱カフェインの道のりは険しい。
受験生の思い出
今週のお題「受験」
あれはセンター試験も差し迫った冬の日の塾でのことでした。
その日は珍しく午前中から調子が良く、センター試験の倫理をしゃかりきに勉強しておったのです。
ノリにのってきたところで電話が鳴りました。
よりによって母か。
なんや、せっかくノリノリなのに。
いささかの不満を覚えながら電話に出ると、妙にテンションが高い。
「あんた!番号あるで!」
なんということでしょう。
その日はすっかり忘れていた、推薦入試の合格発表日だったのです。
いつも素っ頓狂な答えばっかり出してる素っ頓狂な僕は、極め付けの素っ頓狂な声を出しました。
なお、合格発表の日を忘れていたのは僕だけではありません。
母も思いっきり忘れていたのです。
思いっきり忘れて、韓流ドラマを動画サイトで見ていたはずみで、たまたま思い出したそうなのです。
なんということでしょう。
あまりに突拍子のないせがれの受験番号の登場に狼狽たのか。
母は僕よりも先に父に電話をしました。
すると父は、割とキレ気味で
「それは去年のだろう」
と母を叱ったそうです。
なんということでしょう。
まぁとりあえず、私の受験生時代はおもむろに終わりを告げ、特に行く必要もなかったのですが、大学の掲示板を見に行き自分の番号を確かめて、ラーメンを食って帰りました。
そして翌年の初詣にて、地元の神社おみくじにはこう書いてありました。
「時ならぬ鶯の声が鳴く」
魔法のコンパス 道無き道の歩き方
今回は本のアウトプット。
『魔法のコンパス 道無き道の歩き方』主婦の生活社
先日読んだ、『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』
で、すっかり西野さんの考え方に魅了されてしまったので、その前作に当たる魔法のコンパスを読んでみようと思ったのがきっかけ。
で、読んでみると西野さんの圧倒的な熱量と、これからの時代へ臨むワクワク感が滾ってきた。
西野さんの本(今回は魔法のコンパス)を読むと、3つの力に圧倒される。
・芸人時代に培った圧倒的な経験と、その思考による強力な説得力
・渋谷のハロウィン後のゴミの山を後片付けする企画や、東京五輪のエンブレムの再選考に敗れたものだけで行った、五輪負けエンブレム大会など、その時々でブームを捉えたイベントを起こせる企画力
・自分たちはこんなに面白い生き方してるのに、君たちはやらないの〜?と、
思わず西野さんたちの世界観にこちら側から飛び込みたくなる様な提案力
である。
読んでる時の高揚感に加えて、あとがきの最後の一文には鳥肌がたった。
これからの未来をワクワク生きたい人は、今後必読の書になると思うので、是非ともご一読のほど!
水滸伝が好きすぎる人による水滸伝講座【第1回】
最近水滸伝愛が沸騰してきたので、水滸伝講座にトライしてみようと思います。
第1回 [水滸伝とはなんぞや]
まずはここから。
要点をこの3つに絞って解説します。
①時代背景
舞台は中国の北宋時代末期(960年~1127年)。
日本でいえば鎌倉時代ちょっと前。
この時代はとても豊かな時代で、都の開封府のグルメガイドが残っているくらい贅沢で華やかな時代でした。
しかし、北宋最後の皇帝、風流天子こと徽宗が即位すると一気に国が傾き始めます。
徽宗。
皇帝なんかならずに芸術家になってたら、本人も国も幸せだったであろうお方です。
彼は皇帝になったばっかりに、国の予算で大々的に芸術やり始めちゃいました。
その結果、国は疲弊し、都は悪い大臣ら魑魅魍魎どもが跋扈するご時世に。
地方はひたすらに疲弊することとなりました。
②梁山泊の108人の好漢たち
そんな悪い大臣たちが栄えると、被害を被るのはたいてい真面目な人たち。
例えば水滸伝の人気者、豹子頭 林冲(ひょうしとう りんちゅう)。
彼はもともと軍の武術師範で、蛇矛の名手でした。
豹子頭とは彼のあだ名で、『豹のような顔』という意味です。
水滸伝の108人の好漢は、全員あだ名を持っています。
出典:キノトロープ | 水滸伝
彼はこんなプロセスで、大転落人生を歩むのです。
- 林冲の新婚ほやほやで大好きな嫁さんを、悪大臣のバカ息子に見初められる。
- 悪大臣がバカ息子のために、林冲を無実の罪で流罪にして、林冲の嫁さんとくっつけようとする。
- 嫁さんは林冲の知らぬ間に自害する。
- かたや林冲はキレて牢屋から脱獄。近場の大金持ちに匿われ、梁山泊を紹介され、泣く泣く山賊になる。
と、こんな感じ。
梁山泊。
大きな湖に囲まれた、巨大な山の砦。
その水のほとりに導かれるように、108人の好漢たちが続々と集まります。
水滸伝とは、『水のほとりの物語』という意味です。
※余談
↑で紹介した林冲。
たいていイケメンに書かれるのですが、
先ほど述べたように、
・蛇矛の名手
・豹のような顔
に加えて
・虎髭
って設定がございましてな。
早い話がこの人のもとになった人は、三国志の英雄の
張飛さんなんです。
(画像はイラスト屋さんにあったよ。たまげたなぁ)
③日本でも江戸時代のころから大人気
意外や意外。水滸伝は江戸時代のころからとても親しまれていました。
例えば、滝沢馬琴って劇作家を聞いたことがありませんか?
彼の書いた作品に、『南総里見八犬伝』ってあるんですけど、思いっきり水滸伝をモチーフにしています。
他にもすごい話がありまして、
この平成の世にて、
『戦国武将を美少女化』
『三国志武将を美少女化』
『戦艦を美少女化』
などなど、〇〇を美少女かする企画が大変ポピュラーです。
で、その先駆けとなったのが、何を隠そう滝沢馬琴。
彼は水滸伝の108人の男女比(105:3)を(3:105)にやってのけ、
『水滸伝の好漢を女性化』させた作品、『傾城水滸伝』なんて代物まで書いてのけました。傾城ってのは、遊女のことだそうです。
つまり、
女体化させる文化は、江戸時代のころからあった!
今日はそれだけ覚えといてください。
まだまだ書き足りないのですが、今日はこの辺で。
第2回から、あらすじ編かなぁ。
1/12 芥川龍之介 歴史プレゼン @御茶ノ水ビンデン
1/12に、御茶ノ水ビンデンさんにて金曜恒例の歴史プレゼンをやってきました!
芥川龍之介先生といえば、
・『杜子春』 〜絶対に声を出してはいけない地獄めぐり〜
といった教訓あふれる児童物
・『羅生門』 〜生きるためならどっちもどっち〜
・『藪の中』 〜それでも僕は見たつもり〜
といった歴史物
・『或る阿呆の一生』 〜そこまで自分を責めぬとも〜
・『歯車』 〜軋んできた頭の中〜
といった、晩年の闇がつまってる物
まで幅広いジャンルで作品を書かれています。
そんな中から、きわめて異色な作品を2作紹介しました。
まずは、
『侏儒の言葉』
侏儒とは、取るに足らないつまらん奴って意味です。
「取るに足らないつまらん奴の言葉」
なんて、誰が聞くのかって感じですが、それを言うのが芥川龍之介先生だから聞かざるを得ない。
どんな作品かと一言で言うならば、
です。
例えばこんな感じ
文体はポップに仕上げましたが、あるお題に対して、芥川先生が持てる知識をフル動員して、様々なことを書き連ねた短文集なのです。
他にも
「クレオパトラの鼻が少しでも曲がってたら、歴史は変わってた、とかあれ嘘だよね。好きな人だったら少し鼻が曲がっていようが、他の長所見つけて好きになるでしよ?」
とか
「道徳って要するに、左側通行の別の言い方だよね」
とか、概ねこんな感じで話を進めます。
芥川先生特有の、
「僕の作品を読んでくれる賢明な読者諸君は分かってくれるよね?」
っていう自信とそれに伴う不親切さ。
いわゆる厨二病っぽさ!
こここそが、芥川先生の魅力的なところだと思うんです!
で、次に紹介した作品を一言で説明するなれば、
「演者全員が真顔でボケ倒すツッコミ不在の歴史コント」
です。
詳細は…
あえて語りません。
聞きたくば、私が御茶ノ水ビンデンさんにての語りを聞きに来てください!
こちらにて毎週金曜日開催いたします!
東北の美味しい食事と、美味しいお酒が待っています。
お気軽にふらっとお越しください!