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笑いの沸点についての考察

 某所のお笑いライブに行ったときのことである。

    五分以内の尺で、若手芸人の方が、入れ替わり立ち替わりでネタを披露するライブである。

 

 中盤で出てきた、第一印象はクールでイケメンな印象を持ったピン芸人の方のネタだった。

 ネタの構成は、下記の通り。

 

 ① あるお題に対し、「Aがいいですか?Bがいいですか?」とクールに客席に問う。

 ② 「Aがいいのか、Bがいいのか」真剣に悩んだ姿を見せ、間をとる。

 ③ 「どっちでもいい~!」の決めポーズとともに、ミュージックスタート。

 ④ コミカルな踊りが始まる。

 

 ①のお題は変わるが、あとは②~④を繰り返す。

 ※証書授与で言うところの、以下同文である。

 

 早い話が、

 「あるあるネタ言った後でダンスする

 ネタである。

 

 私としては、「こんな感じなのね~」という所見だった。

 

 しかし。

 

 中年男性のお客様一名が、

 

 めちゃくちゃ笑っている

 

 のだ。

 

 断わっておくが、私は決して、そのネタがつまらなかったとか、笑いすぎだろう、などと、非難するつもりはない。

 ※もしも、ご本人の方が当記事をご閲覧いただいた暁には心より謝罪いたします。

 

 だが、客観的に見ていても、あまりにも笑ってらっしゃるのだ。

 ※当のピン芸人の方ご本人ですら、若干動揺されていた。

 

 この時私は、笑いの沸点という言葉を思い出した。

 

 よく笑う人を笑いの沸点が低いとか、ポーカーフェイスの人は沸点が高いと揶揄するように使われる表現である。

 

 で、その方のリアクションをその後注視していても、上記のネタ以上の大笑いはされていなかった。

 

 むしろ私ジャッジで、面白い漫才や笑えるネタをされた方々が他にも何組もいたというのに。

 

 これはいったいどういうことだろうか?

 

 状況を整理してみる。

 ・中年男性のお客様の笑い始めは、③の決めポーズから。

 ・④の段階に入ったら、もう笑いっぱなし。

 ・①、②の時は特に目立つリアクションはなかった。

 

 すると、その方は、

 ・クールなピン芸人の方が今までのイメージを大きく転調させて、決めポーズをされた奇抜さ・意外性

 ・その後のコミカルなダンス

 

 に大笑いされたことが推測される。

 

 …

 

 こうして文章化してみても、やはり思う。

 

 なぜそこまで大笑いされたのだろうか

 

 と。

 

 ここで発想を変えてみる。

 

 なぜそこまで大笑いできたのだろうか

 

 と。

 

 私事ながら、例えば野球観戦、今回のお笑いライブのような場所で感情表現をするのがかなり苦手なタイプだ。

 

 だから、例えばご贔屓チームの野球観戦に行って点が入っても、あいにく自前の傘をもっていない

 なので、外野席で大声で応援歌を歌える人とかは、正直うらやましい。

 どちらかというと内野席で、贔屓の選手がヒットを打ったり、三振をとったら小さくガッツポーズするタイプなのだ。(応援しているぞ、梅野くん、廣岡くん)

 

 だから、感情が動いておらず、一見つまらなさそうに見えるかもしれないが、本人的には十二分に楽しんでいるし、面白いがっている。

 

 今回のお笑いライブも、笑い声をあげたりこそしなかったが、素晴らしいネタや面白いネタは多数あったので、とても面白いお笑いライブだったのだ。

 

 だがしかし、あのようなお笑いライブの場で、先のお客様のように大笑いしたり、腹を捩るほど笑い転げるのは、よほどツボにはまるネタでない限りできないか、もしくはいくら面白くてもできないのかもしれない。

 

 笑いのツボが全然違うといわれればそれまでかもしれないが、少なくともあのどっちでもいいネタは、おそらく死ぬまで大笑いすることはないと思う。

 

 とはいえ。

 

 ここから自分語りが多分に入ってしまうのだが、そんなめんどくさい私だって、過去に大笑いしたネタは多々ある。

 

 なかでも珠玉の、過去に私が本気で笑い転げたものを二つ挙げる。

 

 ・ご長寿はや押しクイズ名人戦…この回をリアルタイムで見たときは家族そろって死にかけた

www.youtube.com

 

 今久しぶりに見ても、やはり面白すぎる。 

 これをライブで上映されたら、100%爆笑していた。

 

 その面白さを冷静に分析すると、

 ・吉田名人と猪俣名人の回答のテンポ、呼吸

 ・回答センス

  →問題文から連想する答えと、珍回答からさらに上書きする答えが面白すぎる。

  →鈴木史朗さんのヒントからの拾い方も最高で、全く的外れでない所が凄い。

 

 そうか。

 

 問題の答えとしては大間違いなのに、ヒントや珍回答を参考に片足を残しつつも、もう片方の足は予期しないとんでもない所に突っ込んでいるから面白いのか。

 

 意味不明で支離滅裂だから面白いかと思いきや、実は全く的外れで突飛なネタは一つもなく、話の流れを受けた上での珍回答なのが、面白さの要因といえるのではないだろうか。

 

 ギャグマンガ日和2巻…今なお連載中のギャグマンガ日和で一番好き。  

https://www.amazon.co.jp/ギャグマンガ日和-増田こうすけ劇場-ジャンプコミックス-増田-こうすけ/dp/4088731670

 

 この大好きなギャグマンガの面白さを言葉で説明するのはとても難しい…

 しかし、あえて頑張って言語化してみると、

 

 ・物語の起承転結の設定最初から吹っ飛んでいるところ

  →ジャージを着ている聖徳太子

  →俳句が下手になった松尾芭蕉

  →動物が通う小学校が舞台なのに、性犯罪を犯し続けるクマ吉くん

  などなど、狂ったキャラが腐るほど出てくる。

 

 ・何が面白いのか分からないけど面白い、一コマだけ出てくるサブキャラクター

 

  →料理人対決の話で出てきた、中華の加藤さん(あだ名:中加藤)

  →聖徳太子が武道会を開く話で出てきた、貧弱男さん

  ただの出落ちキャラなのに、なぜこんなに面白いのか。

 

 ギャグマンガ日和の面白さの言語化がここまで難しいとは…

 

 今後の課題としよう。

 

 さて。

 

 このブログの執筆中に、達見が一つ飛び込んできた。

 

 「面白いから笑っているのではなく、笑っていると面白くなってくるのです!」

 

 なるほど!

 その発想はまるでなかった。

 

 私はてっきり、笑いの沸点という表現をするくらいだから、

 

 ・笑いが表に出てくる感情のスイッチが、さながらフラスコに入った

 ・提供されるお笑いネタが、さながらフラスコにかける火の強さ

 ・の強さ(ネタなど面白い出来事)に応じてフラスコのはじわじわ沸いてきて、沸点を超えたら、笑いだす

 

 様相をイメージしていた。(この表現でいったい何名の方に、どれだけの本意が伝わるのだろうか)

 

 だから今回のネタも正直に言えば、私にとって弱火程度の火力であった。

 

 しかし、あのお客様にとってあのネタは、笑いの感情スイッチを司るフラスコに、さながらカリウムやらナトリウムやらをフラスコにぶちまけて大爆発させる何かが起きていたのだと解釈していた。

 

 けれどもどうやらそうではないらしい。

 

 面白いから笑うのではなく、笑っているから面白くなるのか。

 確かにそういう面もある気がしてきた。

 素敵な考え方だなぁ。

 

 …

 

 この話を、いったいどんなオチで締めたらよいのか…

 

 結論は出ないと思うが、この抱えたモヤモヤを少しでもクリアにするために、書き連ねた次第でございました。

 

 いったんこれにてお開き。

 

 次はいつ来るかは分かりませぬが、またいつか。