真面目に面白いを考える
さんざんほったらかしていたのをなかったかのように、再開します。
色々な人と話しているときに、思うことがある。
「なんでこの人はこんなに面白い話が出来るんだろう!」
「なんでこの人はこんなに話していて微妙なんだろう!」
歴史プレゼンをしていて、こういわれることがある。
「面白かったです」
「今日のはつまらなかったなぁ」
「お客様を置いてけぼりにするな!」
「主観が強すぎる」
などなど。
たくさんのありがたい感想や意見をいただいてきた。
そんな今まで言われたことを振り返っていたら、
面白いとつまらない
その境目が気になり始めた。
そしたら、こんなことも考え始める。
「そもそも"面白い"ってなんだ?」
この問いを、立てた自分に、
「またドツボにはまりやがったな」
と思う方もいるかもしれない。
ご明察。
どっぷりドツボにはまってしまった。
しかし、どうか聞いてほしい。
色々と思考錯誤を繰り返した結果。
少しだけ、自分の答えが見つかる兆しが無きにしも非ずだったのだ。
それでは聞いてください。
『ばちゅーの考える"面白い"とは」
①-1 面白いって何?
これを考えるにあたり、自分に問いを立ててみた。
Q.自分はどんなときに面白いと思っただろうか?
A.こんな時です。
・好きなことを話している時(歴史、野球…)
・好きなことをやっている時(読書、ゲーム、散歩…)
・新しいことを知った時
である。
で、大辞林さんにも聞いてみた。
以下引用である。
( 形 ) [文] ク おもしろ・し
〔「面おも白し」で、目の前がぱっと明るくなる感じを表すのが原義といわれる〕
① 楽しい。愉快だ。 「昨日見た映画は-・かった」 「勉強が-・くて仕方がない」
② 興味をそそる。興味深い。 「何か-・い話はないか」 「最後にきて-・い展開を見せる」
③ こっけいだ。おかしい。 「 - ・いしぐさで人を笑わせる」
④ (多く、打ち消しの語を伴う)心にかなう。好ましい。望ましい。 「病状が-・くない」 「 - ・くない結果に終わる」 「私に-・からぬ感情を抱いている」
⑤ 景色などが明るく広々とした感じで、気分がはればれとするようだ。明るく目が覚めるようだ。 「十日あまりなれば、月-・し/土左」
⑥ 心をひかれる。趣が深い。風流だ。 「昔を思ひやりてみれば-・かりける所なり/土左」 〔類義の語に「おかしい」があるが、「おかしい」は格好・表情・しぐさ・話し方などが普通と違っていて、笑いたくなる意を表す。それに対して「おもしろい」は対象が普通の基準から見ると新鮮・奇抜で変化に富んでいて、興味をそそる意を表す〕
[派生] -が・る ( 動ラ五[四] ) -げ ( 形動 ) -さ ( 名 ) -み ( 名 )
なるほどなるほど。
ここで、②の意味の面白いに注目したい。
面白いを引き起こすために最も必要なもの。
それは、興味・好奇心である。
興味がなければ、そもそも面白いとも思わない。
面白いと思う前に捨てててしまう。
よって、面白いと思うためには、まずその物事に興味をそそられる必要がある。
それでは、どんな時に人は興味をそそられるだろうか。
自分は3つのパターンがあると考える。
・物事に、新規性がある時
・物事に対して、自分との共通点を見出した時
・物事に対して、意外性を発見したとき
である。
解説しよう。
・新規性があるものに興味を持つ訳
なぜ新しい本を買ったとき、新作の映画を見るときに、わくわくするのだろうか。
自分の知らないことを知ることができたり、体験できるという、期待を持てるからである。
期待感は、大いに人をひきつけてやまない。
だからこそ、期待外れだった時のがっかり感たるやない。
例えば、100の期待をしていた映画が、0点ものの全くの期待外れだったとしたら、あなたの100の期待は、あなたへの100のダメージへと変貌を遂げてしまうのだ。
あなたはその傷の痛みを、長文の酷評レビューを書くことによって、癒す羽目になるだろう。
・自分との共通点を見出したものに興味を持つ訳
あるあるネタやモノマネが受けるのはなぜだろうか。
だれもがあるある!と共感ができるから笑うのだ。
癖や、口調が似ている!この人こういう所あるよね!と共感ができるから笑うのだ。
逆に、人が共感できないあるあるネタは、ねーよ!と一蹴され、
似ていないモノマネは、その場の顰蹙と居心地の悪さしか生まないのである。
共感は、興味をもつための大切なファクターといえよう。
・物事に対して意外性を発見したものに興味を持つ訳
ひと昔前の例えだが、ツッパリヤンキーが捨て猫の面倒を見ている場面に遭遇すると、なぜキュンとするのか。
ピシっとしたスーツが決まっている男性のくしゃみが妙に滑稽だったら、なぜ笑いそうになるのか。
その人の持っているイメージとのギャップ、意外性が表に出るからだ。
屈強で強面の人が漬物石のようなダンベルを軽々上げていても、何とも思わないのに対して、
屈強で強面の人が甘党だったり、声が妙に高かったりすると、興味を引き付けられる。
意外性も、重要なファクターなのだ。
興味をそそるために必要なもの。
それは、
・期待感
・共感
・意外性
以上の3つである。
これら3つのファクターを通して、面白いにつながっていくのだ。
次の話に移ろう
①-2 面白い人ってどんな人?
ここでも問いをたててみた。
Q.自分はどんな人を面白い人だと思っただろうか?
A.こんな人です。
・私の好きなことを楽しく話せる人
・私の知らないことを知っている人
おおむねこんな感じ。
これは、どんな人でもほぼ共通することだと思う。
その前に、人を面白いと思うために絶対必要なことがある。
コミュニケーションである。
当たり前のことだけどね。
早い話が会話を通じて、この人は面白い!
って判断できるようになるってことね。
本当に当たり前だけど、会話をしないことにはその人を面白いと思うわけがない。
面白い人と判断するためには、その人と会話することが大前提!
さて。
先ほどの自分が面白いと思うことと面白いと思う人を見比べてみて、あることに気づいた。
ペアになる。
・(楽しいと思うこと) 自分が好きなことを話している時
↕
・(楽しいと思う人) 私の好きなことを楽しく話せる人
・(楽しいと思うこと) 自分が新しいことを知った時
↕
・(楽しいと思う人) 私の知らないことを知っている人
なんと。
自分の面白いを二つのペアにすることができた。
こいつは面白い。
前者は、自分が発信(アウトプット)する面白さ
後者を、自分が受信(インプット)する面白さ
ということができる。
おお、面白くなってきた。
だって、自分が発信する面白さってのは、自分が話し手になっていて面白いってことだし、
自分が受信する面白さってのは、自分が聴き手になっていて面白いってことじゃないか。
理想的なコミュニケーションと言えるじゃん。
自分が面白い話ができている時には、良い聴き手がいる。
自分が面白い話を聴いている時には、良い話し手がいる。
面白い人とは、あなたにとって『良い聴き手であり良い話し手』になれる人のことをいうのである。
さらに、面白い人はさっきの興味を引き付ける三要素
・期待感
・共感
・意外性
を会話の中で巧みに使いこなしている人でもあるのだ。
面白いを探求していたら、なぜか面白いコミュニケーションを取るためのノウハウみたいになってきてしまった。
しかし考えてみれば、面白いは、人と人の間の中でしか生まれないものである。
当初思い描いていた方向性とはだいぶ変わってきたが、もう少しこの路線を突き詰めていきたい。
2/2 歴史プレゼン 始皇帝@御茶ノ水ビンデン
金曜恒例!御茶ノ水ビンデンでの歴史プレゼン!
2週間前の話題になってまいましたが、 歴史プレゼン。二か月目に突入しました!
お題は『始皇帝』です!
話題の漫画、キングダムの元ネタの時代をやりました。
始皇帝こと嬴政(えいせい)は、もともと酷い境遇で生まれ育ち、エゲツないあの手この手を尽くして権力を奪取した、秦の王様です。
もうこの数行だけで、たやすく一時間は語れるくらい濃厚な人生を送っているのですが、それはまたおいおい。
さて。
嬴政の生きた時代は、春秋戦国時代という大乱世の頃でした。
聞きなじみがない方も多いと思います。
春秋戦国時代っていうのは、『春秋時代』と『戦国時代』分けられます。
違いは以下の通りです。
春秋時代のころは、『周』という国が存在したうえで、覇者という権力者が天下を治めた時代です。
覇者に対して毎年貢物をやる代わりに、覇者は貢物をくれた国を守ってあげるような、ギブアンドテイクの関係性ですな。
ちなみに春秋時代の有名な覇者のことを『春秋の五覇』と呼びます。
その話題も一人一人が面白すぎるんですけども、詳細は割愛いたします。
対して戦国時代は、『周』が滅んでしまったあとで、戦国七雄という国々が存亡をかけて潰し合いをした、ほんまもんの『戦国時代』です。
嬴政は、戦国時代に生まれ、当時最強の国『秦』の王として君臨していたわけです。
戦国七雄とは、秦、斉、趙、韓、魏、燕、楚という七つの国のことを言います。
なお、それぞれの国に全盛期があって、スーパースターを抱えていた時代があったのですが、始皇帝の頃には、既に秦の一強時代になっていたのです。
そして秦は次々と各国を滅ぼし、とうとう全土を統一するに至ります。
(詳細はあえて省略!キリがなくなるので悪しからず!)
嬴政は、中華で初めて全土統一を成し遂げたのです!
誰もやったことのない偉業だったので、王よりも上の位、「皇帝」を作り、
嬴政は始皇帝となったのです。
ということで、この回はこの辺で。
やれやれ、あと2週分たまってるぞ。
ついてる、ついてる
今週のお題「ゲン担ぎ」
自分はついてると思うか、それともついてないと思うか。そんなのは自分の考え方次第でどうにでも変わる。
と教えてくれたのは、中高時代の先生だった。
それ以来験担ぎも兼ねて、些細なことでも「ついてる」と口に出したり、思うようになった。
すると、割とどんな「ついてない」と思うことも「これは逆についている」と感じるようになってきた。
おみくじで「凶」を引けば、むしろ運がいい、おいしいなぁ〜と思う。
結婚式のビンゴ大会でビンゴを引き寄せるも、VRカメラではなく、特別賞のナビスコクッキーをゲットした時は、10年使えるすべらない話を手に入れたわ〜と思う。
それが習慣になると、結構日常が愉快になった。
コップの水が半分あったらどう思うか。
半分もあると思うか。
半分しかないと思うか。
きっとついてる人にとっては、半分でなくても、1/4でも空っぽでも、面白い捉え方をするだろう。
サプリ飲むのにちょうどいい量だ〜
とか、
別の飲み物入れられるわ〜
とかね。
逆についてない人は、コップの水が満タンでも適量でも、面白くない捉え方をするんじゃないかなぁ。
そんなにあってもこぼしてしまう〜
とか、
どうせ後で喉かわく〜
とか。
ついてる人は、今あるものに目を向け感謝する。
ついてない人は、今ないものに目を向けなぜ無いのかと嘆いている。
そんなことをふと思いついた。
そんな私は案の定今日もついている。
スクラッチを4枚買って1枚当たった。
損得で言えば結果は損だけど、
本当についてなければ一枚も当たらなかったんじゃないかな。
と少々強気に構えつつ、
やや多く買ってしまったなぁ〜
と、少しだけくよくよしている。
そんな冬の日のことであった。
水滸伝が好きすぎる人による水滸伝講座[第2回]
というわけで、だいぶ時間が経ちましたが、
水滸伝講座第2回でございます。
今回からあらすじを紹介していきます。
いわゆる水滸伝のプロローグです。
前回のおさらいですが、水滸伝とは梁山泊に108人の好漢が集い、国と戦う物語です。
そこで1つ疑問が出てきませんか?
『なんで決まっていたかのように、皆が梁山泊に集まってくるの?』
その疑問まともにごもっとも。
で、答えをシンプルに書くならば、
「梁山泊の好漢は108の星の生まれ変わりで、梁山泊に集まる宿命を背負って生まれてきたから」
です。
…
なんのこっちゃという気がしますよね。
水滸伝はこんな感じで幕を開けます。
・国が疫病やら賊徒やらで傾き始めてきた!
・皇帝が仙人様になんとかしてもらおう!ということで、使者を送る
・仙人様に使いを果たした後で、使者が絶対に入ってはいけない祠に入って、絶対に開けてはいけない蓋を開けたせいで、封印されていた108星を解き放ってしまう
という展開です。
出典:キノトロープ | 水滸伝
もっとも、
絶対に入ってはいけない祠があったら入りたくなってしまうし、
絶対に開けてはいけない蓋があったら、開けたくなってしまうのは、
古今東西、万国共通の人間の心理なのかも分かりません。
で、
封印開けちゃったけど、俺知らね〜
と使者はトンズラして、都に帰ったところでプロローグは終わります。
その108星が活躍するのが、宋もどっぷり末期になった頃のこと。
物語は禁軍(国の軍隊)の武術師範、王進の受難から始るのです。
第2回はこの辺で。
1/26 空海 歴史プレゼン @御茶ノ水ビンデン
金曜恒例、御茶ノ水フェアビンデンでの歴史プレゼン!
第4回目は空海でございます。
おそらく名前だけは聞いたことのある方が多いことでしょう。
弘法大師とも呼ばれており、その名は亡くなった後で当時の天皇陛下賜った諡(おくりな)です。
そんな彼の人生ってのは、なかなかロックなんです。
彼は讃岐国に産まれ、お父さんは郡司という地方官でした。
簡単に言えば、うどん県高松市市長みたいなものでしょうか。
そして15歳の時から家庭教師をつけられて、熱心に勉強に励み、
19歳の時には、京の大学寮に入りました。
今でいう、役人育成学校みたいなところです。
で、『学校』のような名の付くものがあると、必ずこんなやつがいます。
・行儀よく真面目なんてできないやつ。
・教室の窓ガラスを壊して回りそうなやつ。
彼はこんなタイプでした。
何の疑問も抱かず、ただ役人になるという、つまらない大人のような人生が嫌だったのか。
そして彼は家出の計画を立てる。
19の夜。
もしも脳内BGMが流れていたら、選曲を尾崎さんから星野さんに変えていただきたいのですが。
突然山に駆け込むんです。
彼は勉強そのものが嫌いだったわけではありません。
むしろ熱心だったといったほうがよいでしょう。
しかし、集団で勉強することになじめなかったのか、はたまた教える側がつまらなかったのか。
『勉強は好きだけど、集団で学ばなくちゃいけないことが苦手なタイプ』
のような気がしてなりません。
少しだけ親近感がわいてきました。
そこから彼の記録は6年間途絶えます。
その間に、
24歳で儒教、道教、仏教を比較した『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著して俗世の教えが真実でないことを示しています。
参考文献: 空海 - Wikipedia
今だったら『〇〇の真実』なんてタイトルで出ている新書みたいですね。
修業期間中のエピソードで、空海を語るうえで欠かせないものがございます。
彼が高知県の室戸岬の御厨人窟(みくろど)という洞窟で修行していた時のこと。
彼がふっと顔をあげ目に入ったものが、
空と海だけだった。
だから彼は空海と名乗ったといわれています。
そんな彼が記録に再び現れるのは、30歳になった時のこと。
が、ここで大きな謎があるんです。
・6年間山で修行していた僧が、どうやって唐に行くお金を用意したのか。
・どうやって遣唐使船に乗るための手続きを踏んだのか。
これに関する記録は、何も残っていません。
とにかく彼は、遣唐使船に乗ることはできました。
が、大変なのはここからです。
それは、
遣唐使船が唐にたどり着く可能性の低さ。
要するに、めちゃくちゃ遭難したんですよね。
空海のケースも、4艘中2艘しかたどり着くことができませんでした。
幸い空海の船は唐に到着したんですが、漂着先を間違えてしばらく不審船と思われたそうです。
国籍不明の船に漂着されたら国際問題になるのも、いつの時代も同じことなんですね。
その後何とか唐の入国許可が下りて、都の長安に入ることができました。
空海の修行生活がここから始まるわけです。
なお、彼は一般参加の僧なので、唐に20年間の滞在義務がありました。
ところが、唐で修行していた彼にある出会いが訪れます。
恵果(えか)和尚という、高名な和尚さんが彼を一目見て、こう思ったのです。
『すげえ奴がいるぞ』
と。
どういうことかといえば、こんな感じです。
恵果和尚は、空海がとんでもない修行を行っていたことを、一目で見抜いたのです。
他がLv.5の修行僧だとしたら、空海はLv.95くらいあったのでしょう。
おまけに特技も他のやつとは比べ物にならないほど優秀。
なんと恵果和尚は、空海と出会ってすぐに、
真言密教の奥義を伝授することを決断しました。
唐にきて半年足らずの留学僧にですよ。
おそらく何十年も修行している諸先輩方が、数多くいたはずなのに。
そして唐にきて8か月で、空海は
『この世の一切を遍く照らす最上の者』
という意味の
遍照金剛(へんじょうこんごう)の名を与えられました。
Lv.100の称号みたいですね。
とにかく、無名の日本から来た留学僧が、この世の一切を遍く照らす最上の者に、
わずか8か月で大変身したわけです。
すると、こんなめちゃくちゃ優秀な人材を20年もほったらかしにするのももったいなくなります。
20年の滞在義務があったのが、わずか2年での超スピード帰国を許されたのです。
そして空海は、手に持ちきれないほどのお土産をもって帰国を果たしたのでした。
彼は自分の境遇を大国変えた留学をこう振り返っています。
虚しく往きて実ちて帰る
と。
身一つで唐に飛び出した無名の留学僧が、思ってもみないほど立派になって帰ってこれるなんて。
本人のつくづくしみじみとした実感がこもった言葉だと思います。
というわけで空海、いかがでしたでしょうか。
歴史プレゼンは、毎週金曜日20時ごろより、
御茶ノ水フェアビンデン:http://発酵食品.tokyo/
にて行っています。
なお、プレゼン当日は心の友のうどん打ちとのコラボイベントで、大変盛況でした。
今後もなにかコラボ企画をやるかもしれませんので、どうかお気軽にお越しくださいね~
1/19 幕末のイケメン 歴史プレゼン@御茶ノ水ビンデン
さてやってまいりました。
金曜恒例!御茶ノ水ビンデンでの歴史プレゼン!
第3回目は『幕末のイケメン』
レポートがいささか遅くになり申し訳ない。
さて、
古今東西津々浦々。
顔の良い男ってのが大層得をするのは、いつの時代も変わりありません。
列伝に残っている人物がイケメンだったら、概ね彼のプロフィールには、顔が良かったと書いてあるもんです。
とはいえ、今回のテーマは幕末です。
この激動の時代。
老いも若きも、倒幕も佐幕も己の信じるものを戦った時代。
ただ
「顔が良い」
からって理由だけで、「幕末のイケメン」を名乗る資格はございません!
というわけで、顔が良いに加えて、さらに2つの要素を追加いたしました。
それがこちら。
各々が持っている志に加えて、性格も良くないと幕末のイケメンとは呼べません。
というわけで、今回のプレゼンでは3名紹介しました。
※なお、表紙の彼は織田信福という歯医者さんですが、3名には含んでおりません。悪しからず。
まずは1人目はこの人。
薩摩藩家老。
小松帯刀。
なお当日は女性陣いわく、眉が太すぎるとの声を頂戴しました。
まあね。
で、この人は何がすごいかというと、
・齢28にして、家老になるほどの能力の高さ!
ってとこだと思っています。
28で家老っていうと、今で言うなら県庁のNo2ですかね。
かっこいいなぁ。
また、彼は西郷どんらに比べれば、家老になれるほどの薩摩藩の名家なんで、そもそもの格が違います。
とはいえ、西郷さんよりも7つ年下だったもんだから、西郷さんも初めは侮った態度をとったそうです。
しかし、小松さんの接し方を見てから、己の非を認め態度を改めたそうです。
それほど有能で、西郷どんと大久保さんすら使いこなせるイケメンの小松さん。
残念ながら、36歳の若さで病死してしまうのです。
死因は肺結核。
糖尿病。痛風による足の痛みにも悩まされていたそうです。
彼が生きていた薩摩藩はどうなっていたのか。
つい夢に見てしまいますね。
さて、やはり皆様健康には日々気をつけたいとお思いかと存じます。
そんな皆様に、歴史プレゼンをやらせていただいている、
御茶ノ水ビンデンの美味しいお野菜や、加工食品を心よりお勧めいたします。
農家の方が丹精込めて作り上げた絶品野菜の数々。
添加物など使うわけがない、加工食品の数々。
是非一度お試しにお買い求めください!
※他の2人のイケメンはまた今度!
カフェイン気にしてカフェにイン
コーヒーが好きだ。
父上が仕入れてきた豆挽き機を使って、自分でいれて飲むのが何より好きだ。
おそらくコーヒーを自分でいれ始めるようになったら、スターなんちゃらとか、ドトーほにゃららのコーヒーを飲むくらいなら、自分の方が美味いや〜 となると思う。
そんな自分が、昨日父上に「脱カフェイン」を宣言したのである。
なぜなら、
「カフェインは、ここぞという時に適量摂取すれば、本来の効力である、脳の覚醒効果を得られるようになる」
「だから、毎日飲んでいる人は、4.5日ほど脱カフェインして、決まった日に飲むようにしよう!」
との情報を得たからだ。
なるほど。
確かに、
「カフェインが身体から抜けきるのは時間がかかるので、午後2時までに飲むのが良い」
「それより後の時間に飲むと、その日の睡眠にさし障る」
なんて情報は知っていた。
じゃあせっかくなんで、試してみようではないかと思い立った次第である。
なお、自分が宣言するやいなや、夜にもかかわらず父上は、妹のいれたコーヒーを飲みながら、はぁそう、と言ったのであった。
そして、朝。
雪の降りしきった後の外を見下ろしながら、コーヒーを飲まずに、白湯をすすっていた。
だが、昼。
行きつけのパン屋さんにて、カツカレー丼を食べている時に不覚をとった。
※行きつけのパン屋さんはカレーパンが自慢なので、カレーパンのカレーをご飯と一緒に食べるメニューがあるのだ。
サービスでコーヒーが付いてくるのを忘れていたのた。
サービスでコーヒーが付いてくるパン屋さん!
なんとも素敵じゃあございませんか!
しかし、カフェインを取りたくない自分にとってはあまりに、
酷
酷
酷
…
まぁ飲みますわな。
脱カフェインの道のりは険しい。