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2/2 歴史プレゼン 始皇帝@御茶ノ水ビンデン

金曜恒例!御茶ノ水ビンデンでの歴史プレゼン!

 

2週間前の話題になってまいましたが、 歴史プレゼン。二か月目に突入しました!

 

お題は『始皇帝』です!

 

話題の漫画、キングダムの元ネタの時代をやりました。

 

始皇帝こと嬴政(えいせい)は、もともと酷い境遇で生まれ育ち、エゲツないあの手この手を尽くして権力を奪取した、秦の王様です。

 

もうこの数行だけで、たやすく一時間は語れるくらい濃厚な人生を送っているのですが、それはまたおいおい。

 

さて。

 

嬴政の生きた時代は、春秋戦国時代という大乱世の頃でした。

聞きなじみがない方も多いと思います。

春秋戦国時代っていうのは、『春秋時代』と『戦国時代』分けられます。

違いは以下の通りです。

 

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春秋時代のころは、『』という国が存在したうえで、覇者という権力者が天下を治めた時代です。

覇者に対して毎年貢物をやる代わりに、覇者は貢物をくれた国を守ってあげるような、ギブアンドテイクの関係性ですな。

ちなみに春秋時代の有名な覇者のことを『春秋の五覇』と呼びます。

その話題も一人一人が面白すぎるんですけども、詳細は割愛いたします。

 

対して戦国時代は、『周』が滅んでしまったあとで、戦国七雄という国々が存亡をかけて潰し合いをした、ほんまもんの『戦国時代』です。

 

嬴政は、戦国時代に生まれ、当時最強の国『』の王として君臨していたわけです。

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戦国七雄とは、秦、斉、趙、韓、魏、燕、楚という七つの国のことを言います。

 

なお、それぞれの国に全盛期があって、スーパースターを抱えていた時代があったのですが、始皇帝の頃には、既に秦の一強時代になっていたのです。

 

そして秦は次々と各国を滅ぼし、とうとう全土を統一するに至ります。

(詳細はあえて省略!キリがなくなるので悪しからず!)

 

嬴政は、中華で初めて全土統一を成し遂げたのです!

 

誰もやったことのない偉業だったので、王よりも上の位、「皇帝」を作り、

嬴政は始皇帝となったのです。

 

ということで、この回はこの辺で。

 

やれやれ、あと2週分たまってるぞ。

 

 

 

 

 

 

ついてる、ついてる

今週のお題「ゲン担ぎ」

 

自分はついてると思うか、それともついてないと思うか。そんなのは自分の考え方次第でどうにでも変わる。

 

と教えてくれたのは、中高時代の先生だった。

 

それ以来験担ぎも兼ねて、些細なことでも「ついてる」と口に出したり、思うようになった。

 

すると、割とどんな「ついてない」と思うことも「これは逆についている」と感じるようになってきた。

 

おみくじで「」を引けば、むしろ運がいいおいしいなぁ〜と思う。

 

結婚式のビンゴ大会ビンゴを引き寄せるも、VRカメラではなく、特別賞のナビスコクッキーをゲットした時は、10年使えるすべらない話を手に入れたわ〜と思う。

 

それが習慣になると、結構日常が愉快になった。

 

コップの水が半分あったらどう思うか。

 

半分あると思うか。

半分しかないと思うか。

 

きっとついてる人にとっては、半分でなくても、1/4でも空っぽでも、面白い捉え方をするだろう。

 

サプリ飲むのにちょうどいい量だ〜

とか、

別の飲み物入れられるわ〜

とかね。

 

逆についてない人は、コップの水が満タンでも適量でも、面白くない捉え方をするんじゃないかなぁ。

 

そんなにあってもこぼしてしまう〜

とか、

どうせ後で喉かわく〜

とか。

 

ついてる人は、あるものに目を向け感謝する

ついてない人は、ないものに目を向けなぜ無いのかと嘆いている

 

そんなことをふと思いついた。

 

そんな私は案の定今日もついている

 

クラッチ4枚買って1枚当たった

 

損得で言えば結果は損だけど、

 

本当についてなければ一枚も当たらなかったんじゃないかな。

 

と少々強気に構えつつ、

 

やや多く買ってしまったなぁ〜

 

と、少しだけくよくよしている。

そんな冬の日のことであった。

水滸伝が好きすぎる人による水滸伝講座[第2回]

というわけで、だいぶ時間が経ちましたが、

水滸伝講座第2回でございます。

 

今回からあらすじを紹介していきます。

いわゆる水滸伝のプロローグです。

 

前回のおさらいですが、水滸伝とは梁山泊に108人の好漢が集い、国と戦う物語です。

 

そこで1つ疑問が出てきませんか?

 

なんで決まっていたかのように、皆が梁山泊に集まってくるの?

 

その疑問まともにごもっとも。

で、答えをシンプルに書くならば、

 

梁山泊の好漢は108の星の生まれ変わりで、梁山泊に集まる宿命を背負って生まれてきたから

 

です。

 

 

なんのこっちゃという気がしますよね。

 

水滸伝はこんな感じで幕を開けます。

 

・国が疫病やら賊徒やらで傾き始めてきた!

・皇帝が仙人様になんとかしてもらおう!ということで、使者を送る

・仙人様に使いを果たした後で、使者が絶対に入ってはいけない祠に入って、絶対に開けてはいけない蓋を開けたせいで、封印されていた108星解き放ってしまう

 

という展開です。 

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出典:キノトロープ | 水滸伝

 

 

もっとも、

絶対に入ってはいけない祠があったら入りたくなってしまうし、

絶対に開けてはいけない蓋があったら、開けたくなってしまうのは、

古今東西、万国共通の人間の心理なのかも分かりません。

 

で、

 

封印開けちゃったけど、俺知らね〜

 

と使者はトンズラして、都に帰ったところでプロローグは終わります。

 

その108星が活躍するのが、宋もどっぷり末期になった頃のこと。

 

物語は禁軍(国の軍隊)の武術師範、王進の受難から始るのです。

 

第2回はこの辺で。

 

 

1/26 空海 歴史プレゼン @御茶ノ水ビンデン

金曜恒例、御茶ノ水フェアビンデンでの歴史プレゼン!

 

第4回目は空海でございます。

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おそらく名前だけは聞いたことのある方が多いことでしょう。

弘法大師とも呼ばれており、その名は亡くなった後で当時の天皇陛下賜った諡(おくりな)です。

 

そんな彼の人生ってのは、なかなかロックなんです。

 

彼は讃岐国に産まれ、お父さんは郡司という地方官でした。

簡単に言えば、うどん県高松市市長みたいなものでしょうか。

 

そして15歳の時から家庭教師をつけられて、熱心に勉強に励み、

19歳の時には、京の大学寮に入りました。

今でいう、役人育成学校みたいなところです。

 

で、『学校』のような名の付くものがあると、必ずこんなやつがいます。

 

行儀よく真面目なんてできないやつ。

教室の窓ガラスを壊して回りそうなやつ。

 

彼はこんなタイプでした。

 

何の疑問も抱かず、ただ役人になるという、つまらない大人のような人生が嫌だったのか。

 

そして彼は家出の計画を立てる。

 

19の夜

 

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もしも脳内BGMが流れていたら、選曲を尾崎さんから星野さんに変えていただきたいのですが。

 

突然山に駆け込むんです。

彼は勉強そのものが嫌いだったわけではありません。

むしろ熱心だったといったほうがよいでしょう。

 

しかし、集団で勉強することになじめなかったのか、はたまた教える側がつまらなかったのか。

 

『勉強は好きだけど、集団で学ばなくちゃいけないことが苦手なタイプ』

のような気がしてなりません。

 

少しだけ親近感がわいてきました。

 

そこから彼の記録は6年間途絶えます。

 

その間に、

24歳で儒教道教、仏教を比較した聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著して俗世の教えが真実でないことを示しています。

参考文献: 空海 - Wikipedia

今だったら『〇〇の真実』なんてタイトルで出ている新書みたいですね。

 

修業期間中のエピソードで、空海を語るうえで欠かせないものがございます。

 

彼が高知県室戸岬御厨人窟(みくろど)という洞窟で修行していた時のこと。

 

彼がふっと顔をあげ目に入ったものが、

 

だけだった。

 

だから彼は空海と名乗ったといわれています。

 

そんな彼が記録に再び現れるのは、30歳になった時のこと。

 

空海一般参加遣唐使船に飛び乗ります

が、ここで大きな謎があるんです。

 

・6年間山で修行していた僧が、どうやって唐に行くお金を用意したのか。

・どうやって遣唐使船に乗るための手続きを踏んだのか。

 

これに関する記録は、何も残っていません。

 

とにかく彼は、遣唐使船に乗ることはできました。

 が、大変なのはここからです。

 

それは、

遣唐使船が唐にたどり着く可能性の低さ

 

要するに、めちゃくちゃ遭難したんですよね。

 

空海のケースも、4艘中2艘しかたどり着くことができませんでした。

 

幸い空海の船は唐に到着したんですが、漂着先を間違えてしばらく不審船と思われたそうです。

 

国籍不明の船に漂着されたら国際問題になるのも、いつの時代も同じことなんですね。

 

 その後何とか唐の入国許可が下りて、都の長安に入ることができました。

空海の修行生活がここから始まるわけです。

 

なお、彼は一般参加の僧なので、唐に20年間の滞在義務がありました。

 

ところが、唐で修行していた彼にある出会いが訪れます。

 

恵果(えか)和尚という、高名な和尚さんが彼を一目見て、こう思ったのです。

 

『すげえ奴がいるぞ』

 

と。

 

どういうことかといえば、こんな感じです。

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恵果和尚は、空海とんでもない修行を行っていたことを、一目で見抜いたのです。

 

他がLv.5の修行僧だとしたら、空海Lv.95くらいあったのでしょう。

おまけに特技も他のやつとは比べ物にならないほど優秀

 

なんと恵果和尚は、空海と出会ってすぐに、

真言密教の奥義を伝授することを決断しました。

 

唐にきて半年足らずの留学僧にですよ。

おそらく何十年も修行している諸先輩方が、数多くいたはずなのに。

 

そして唐にきて8か月で、空海

『この世の一切を遍く照らす最上の者』

という意味の

遍照金剛(へんじょうこんごう)の名を与えられました。

 

Lv.100の称号みたいですね。

 

とにかく、無名の日本から来た留学僧が、この世の一切を遍く照らす最上の者に、

わずか8か月で大変身したわけです。

 

すると、こんなめちゃくちゃ優秀な人材を20年もほったらかしにするのももったいなくなります。

 

20年の滞在義務があったのが、わずか2年での超スピード帰国を許されたのです。

 

そして空海は、手に持ちきれないほどのお土産をもって帰国を果たしたのでした。

 

彼は自分の境遇を大国変えた留学をこう振り返っています。

 

 

虚しく往きて実ちて帰る

 

と。

 

身一つで唐に飛び出した無名の留学僧が、思ってもみないほど立派になって帰ってこれるなんて。

 

本人のつくづくしみじみとした実感がこもった言葉だと思います。

 

というわけで空海、いかがでしたでしょうか。

 

歴史プレゼンは、毎週金曜日20時ごろより、

御茶ノ水フェアビンデン:http://発酵食品.tokyo/

にて行っています。

 

なお、プレゼン当日は心の友のうどん打ちとのコラボイベントで、大変盛況でした。

 

今後もなにかコラボ企画をやるかもしれませんので、どうかお気軽にお越しくださいね~

 

 

 

 

 

 

 

1/19 幕末のイケメン 歴史プレゼン@御茶ノ水ビンデン

さてやってまいりました。

金曜恒例!御茶ノ水ビンデンでの歴史プレゼン!

第3回目は『幕末のイケメン』

 レポートがいささか遅くになり申し訳ない。

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さて、

古今東西津々浦々。

顔の良い男ってのが大層得をするのは、いつの時代も変わりありません。

 

列伝に残っている人物がイケメンだったら、概ね彼のプロフィールには、顔が良かったと書いてあるもんです。

 

とはいえ、今回のテーマは幕末です。

この激動の時代。

老いも若きも、倒幕も佐幕も己の信じるものを戦った時代。

 

ただ

顔が良い

からって理由だけで、「幕末のイケメン」を名乗る資格はございません!

 

というわけで、顔が良いに加えて、さらに2つの要素を追加いたしました。

それがこちら。

 

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各々が持っている志に加えて、性格も良くないと幕末のイケメンとは呼べません。

 

というわけで、今回のプレゼンでは3名紹介しました。

 

※なお、表紙の彼は織田信福という歯医者さんですが、3名には含んでおりません。悪しからず。

 

まずは1人目はこの人。

 

西郷どん薩摩藩からこんにちは。

 

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薩摩藩家老。

小松帯刀

 

なお当日は女性陣いわく、眉が太すぎるとの声を頂戴しました。

まあね。

 

で、この人は何がすごいかというと、

 

齢28にして、家老になるほどの能力の高さ!

西郷どん大久保利通が、彼のいうことは聞いた

 

ってとこだと思っています。

 

28で家老っていうと、今で言うなら県庁のNo2ですかね。

かっこいいなぁ。

 

また、彼は西郷どんらに比べれば、家老になれるほどの薩摩藩の名家なんで、そもそもの格が違います。

 

とはいえ、西郷さんよりも7つ年下だったもんだから、西郷さんも初めは侮った態度をとったそうです。

 

しかし、小松さんの接し方を見てから、己の非を認め態度を改めたそうです。

 

それほど有能で、西郷どんと大久保さんすら使いこなせるイケメンの小松さん。

 

残念ながら、36歳の若さ病死してしまうのです。

死因は結核

糖尿病。痛風による足の痛みにも悩まされていたそうです。

 

彼が生きていた薩摩藩はどうなっていたのか。

つい夢に見てしまいますね。

 

さて、やはり皆様健康には日々気をつけたいとお思いかと存じます。

 

そんな皆様に、歴史プレゼンをやらせていただいている、

御茶ノ水ビンデン美味しいお野菜や、加工食品を心よりお勧めいたします。

 

農家の方が丹精込めて作り上げた絶品野菜の数々。

添加物など使うわけがない加工食品の数々。

 

是非一度お試しにお買い求めください!

 

http://発酵食品.tokyo

 

※他の2人のイケメンはまた今度!

 

カフェイン気にしてカフェにイン

お題「コーヒー」

 

コーヒーが好きだ。

 

父上が仕入れてきた豆挽き機を使って、自分でいれて飲むのが何より好きだ。

 

おそらくコーヒーを自分でいれ始めるようになったら、スターなんちゃらとか、ドトーほにゃららのコーヒーを飲むくらいなら、自分の方が美味いや〜 となると思う。

 

そんな自分が、昨日父上に「脱カフェイン」を宣言したのである。

 

なぜなら、

 

「カフェインは、ここぞという時に適量摂取すれば、本来の効力である、脳の覚醒効果を得られるようになる」

 

「だから、毎日飲んでいる人は、4.5日ほど脱カフェインして、決まった日に飲むようにしよう!」

 

との情報を得たからだ。

 

なるほど。

 

確かに、

 

「カフェインが身体から抜けきるのは時間がかかるので、午後2時までに飲むのが良い」

 

「それより後の時間に飲むと、その日の睡眠にさし障る

 

なんて情報は知っていた。

 

じゃあせっかくなんで、試してみようではないかと思い立った次第である。

 

なお、自分が宣言するやいなや、夜にもかかわらず父上は、妹のいれたコーヒーを飲みながら、はぁそう、と言ったのであった。

 

そして、朝。

雪の降りしきった後の外を見下ろしながら、コーヒーを飲まずに、白湯をすすっていた。

 

だが、昼。

 

行きつけのパン屋さんにて、カツカレー丼を食べている時に不覚をとった。

 

行きつけのパン屋さんはカレーパンが自慢なので、カレーパンのカレーをご飯と一緒に食べるメニューがあるのだ。

 

サービスでコーヒーが付いてくるのを忘れていたのた。

 

サービスでコーヒーが付いてくるパン屋さん

なんとも素敵じゃあございませんか!

 

しかし、カフェインを取りたくない自分にとってはあまりに、

 

 

 

まぁ飲みますわな。

 

脱カフェインの道のりは険しい。

 

 

 

 

受験生の思い出

今週のお題「受験」

 

あれはセンター試験も差し迫った冬の日の塾でのことでした。

 

その日は珍しく午前中から調子が良く、センター試験の倫理をしゃかりきに勉強しておったのです。

 

ノリにのってきたところで電話が鳴りました。

よりによって母か。

 

なんや、せっかくノリノリなのに。

 

いささかの不満を覚えながら電話に出ると、妙にテンションが高い。

 

「あんた!番号あるで!」

 

なんということでしょう。

 

その日はすっかり忘れていた、推薦入試の合格発表日だったのです。

 

いつも素っ頓狂な答えばっかり出してる素っ頓狂な僕は、極め付けの素っ頓狂な声を出しました。

 

なお、合格発表の日を忘れていたのは僕だけではありません。

 

母も思いっきり忘れていたのです。

 

思いっきり忘れて、韓流ドラマを動画サイトで見ていたはずみで、たまたま思い出したそうなのです。

 

なんということでしょう。

 

あまりに突拍子のないせがれの受験番号の登場に狼狽たのか。

 

母は僕よりも先に父に電話をしました。

 

すると父は、割とキレ気味で

「それは去年のだろう」

と母を叱ったそうです。

 

なんということでしょう。

 

まぁとりあえず、私の受験生時代はおもむろに終わりを告げ、特に行く必要もなかったのですが、大学の掲示板を見に行き自分の番号を確かめて、ラーメンを食って帰りました。

 

そして翌年の初詣にて、地元の神社おみくじにはこう書いてありました。

 

時ならぬ鶯の声が鳴く